齋藤孝「知性の磨き方」を読んで、知性とは何かを考える

自分はどんな本を読むのか。

時間軸をぶった切って、その時々をよくよく考えてみると、読む本の種類にはなんとなく傾向があるものです。それは、その時々の自分の心境にもよりますし、いろいろな要因に左右されます。ひとつ影響を受けた本が出てくると、しばらくはそれに影響されたタイトルの本を読み続けます。

どんな本を選べばいいのか。

これは難しい問題です。一般には、本は読めば読んだだけよいですが、何から読めば良いかは解けない謎でもあります。そんな事を考えている暇があったらまず読めと。そんな時にどんな本を読むのか自分で決意しておくと、便利です。

私の場合、古典的な小説や随筆を中心に読んだ昨年に比べ、今年は新聞に新書、そして今まで通りに古典的な小説や随筆と、読書の幅を広げ、より実践的な知識を習得しようとしておりました。そんな折、ソフトバンク新書から面白そうな本が出ました。それは「知性の磨き方」。ありふれたタイトルですが、齋藤孝が綴るとどのような視点から書かれるのか。とても興味があったので、迷わず読んでみました。

今年は備忘録的な意味合いも含めて、新書のレビュー(というか読書感想文)も書いていきたいと思います。

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あらすじ(目次)

実は私、この本を読む前と後では、この本に対する印象がガラリと変わりました。というか、「知性の磨き方」というタイトルは、この本の中身に合っていないとすら思いました。では、この本には何が書かれているか、最初にかいつまんでみていきましょう。

齋藤孝「知性の磨き方」は、このような章立てで書かれます。

第1章 悩みぬくことで鍛えられる知性
第2章 激変する時代を切り拓く知性
第3章 肚、身体に宿る知性
第4章 自我を解き放つ知性
第5章 探求を続ける者から生まれ出る知性

これだけ見ると、「知性の磨き方」に合致した目次ではあります。ですが、本当に書きたいことは、「はじめに」で書かれ、その実践方法とその例が各章に書かれている構成です。ですので、もっとも注意して読むべきは「はじめに」です。

「はじめに」に書かれている事

さて、私がもっとも大事だと思った「はじめに」には何が書かれているのでしょうか?

反知性主義

いきなり引用します。

反知性主義は、知的な権威や良識を懐疑し、理論や論理性、科学的な裏付けを軽視する一方で、好き/嫌いなどの素朴な感情や、自分たちの主観的なものの見方に価値を置く態度のことをいいます。現代はこの反知性主義が、エリート層への不信感と相まって世界的な広まりを見せている時代であると言えます。

恐らく、これが本書を書くことになった動機でしょう。どこかの国の大統領選を見ても、日本のどこかの知事を見ても、確かに反知性主義的なリーダーが増えてきたことを実感します。自分の生活が苦しくなったり、世の中が停滞したままマンネリ化してくると、エリートへの不信感から、感情的なリーダーをついつい選んでしまいます。確かにそうなるでしょう。事実そうなっています。ですが、歴史を見てみるとどうだったか。感情論に訴えるリーダーは民衆をどこに導いて行ったか。それは、今までの歴史から見たら必然。そんな反知性主義が広まっていく世の中を危惧して、「そんな時代だからこそ個人で知性を磨きましょうよ。」というのが、まず大きな趣旨です。

インとアウトの間にある箱こそが知性

では、知性とは何か。どのように磨いていくか。それもすでに「はじめに」で書かれています。

困難な課題に取り組むための武器として知性を実際に駆使した人たちをロールモデル(手本)として設定し、彼らの思考の過程を、彼らが残した書物などを通じて私たちも追体験するのです。

この追体験の再現度を可能な限り高めていくことで、私たち自身が困難に陥ったとき、「あの人ならばどう行動したか」と考えることが自然とできるようになるはずです。また、そのモデルが骨太な知性の持ち主であればあるほど、私たちの知性の骨格も太くなっていくでしょう。

つまり物事を考えるためのフィルターこそが知性で、それはインプットからアウトプットまでを変化させるための箱のようなものだと言っています。それは、ロールモデルとした人の本を読むことで、その体験を追体験し、自分自身の思考回路に組み込むことで知性が磨かれるという考え方です。

なるほど!!

結論・この本で言いたいこと

この本で言いたいことはズバリ、下記の通りです。

1. 誰か、ロールモデルを決めなさい。

2. その人の思考が分かるくらいになるまで、その人の著作を読みなさい。

3. 自分が何かを考える時、その人の思考を借りなさい。

要約すると、これだけです。これが全て「はじめに」に書かれているのです。では中身は何が書かれているのか?それは、ロールモデルとしての例が書かれています。目次の内容からはちょっと想像できませんが、この本はそのような構成で成り立っています。

ロールモデルの例

ちなみに、このロールモデルという考え方について少しだけ書きます。私が好きな小説家、丸谷才一も「思考のレッスン」という著作の中で、ホームグラウンドを持つことの大切さを説いています。このホームグラウンドという考え方は、私も大好きで参考にしています。

ホームグラウンドとはつまりこういう事です。何か仮説を立てて物事を考えるとき、あまりに突拍子もない事を考え過ぎて想像が膨らんでしまう事があります。自分でもその考えをどう収拾していいのか分からなくなるような時です。そんな時、自分が熟読している本の著者(齋藤孝のいうロールモデル)だったらどうかと、そのために戻ってくる場所の事を指しています。

このホームグラウンドという考え方の優れた点は、自分だけでなく、他人に対しても使えるという事。誰かを理解するうえで、その人の考え方の根本にあるホームグラウンドを理解することで、その人自身がより深く分かるというんですね。ホームグラウンドは何も人でなくてはいけない訳でなく、学問であったり、専門分野であってもよい訳です。

ちなみに丸谷才一のホームグラウンドはジョイスと新古今和歌集だそうです。では、今回紹介している「知性の磨き方」の著者、齋藤孝の場合はどうなのでしょうか、見てみましょう。

夏目漱石のように悩み抜く

まず第1章で挙げられているのが夏目漱石です。どんなところで漱石をロールモデルにするか。それは、漱石のように悩みに悩む事です。

漱石は悩める人でした。日本人のエリートとしてイギリスに留学しますが、国際社会における日本の立場の弱さに劣等感を感じていました。国の内部から文明を開化していった欧米諸国に比べ、外からの圧力により行われる日本の文明開化について疑問を感じ、神経衰弱に陥ります。つまり自分=日本として、責任を背負い込んでいたのです。

神経を衰弱させた漱石は、なんとか西洋に追いつこうという気持ちから、下宿にこもって洋書ばかりを読み漁ります。ですが、ある時その姿勢が間違っていた事に気が付きます。以下、漱石の言葉です。

この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までは全く他力本位で、根のないうきぐさのように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気が付いたのです。

<中略>

その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心を持って陰鬱な倫敦(ロンドン)を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩(おうのう)した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。

福澤諭吉のように無心に勉強する

福澤諭吉と言ったら、、、一万円札。はいその通りです。これは業績としては後からついてきたもので、業績とは違います。福澤が残した本当に価値あるものの中にその著書があります。特に、学問のススメ、そして福翁自伝は有名で、この2冊は齋藤孝も現代語訳しているほどです。齋藤孝は福澤の本を現代語訳する上で、多くの書籍を読んだでしょう。そんな齋藤孝だからこそ見える福澤諭吉が、この本で語られています。

福澤諭吉といったら唯物論者的なイメージが常にありますが、この本では違った側面も紹介されていて面白いです。それは学問をする理由。

<省略>

つまり、これほどの難解な書物を読みこなせる者は、日本のどこを探しても俺たちくらいしかいないはずだ ー そんな子供っぽいといえば子供っぽいかもしれない、自負心だけがモチベーションになっていた、というのです。

何かに理由をつけないと行動が出来ない時があります。特に、学生時代の勉強などは最たるもので、福澤は彼が猛勉強していた理由について、「一寸(ちょい)と理由はない」とサラリと言っています。将来何のためになるか分からないけど、とにかく頑張ってみるという姿勢は、今の学生たちに特に知ってほしい考え方です。

西郷隆盛のように私を滅して肚を据える

知性とは、脳で考えるだけでなく、へその下から湧き上がってくるものであるとも、齋藤孝は言っています。つまり、頭で考えるだけでなく、感情をぐっとおさえ、理性的に対処できる事も知性を磨くうえで大切であるという事です。

日本で一番、「器の大きい人」、そして「肚が据わった人」として思い浮かぶのはやはり私も西郷隆盛です。江戸城明け渡しの交渉について、西郷がたった一人で江戸城に乗り込んで、勝海舟と交渉した時の、勝の回顧録が引かれています。

さて、いよいよ談判になると、西郷は、おれのいふ事を一々信用してくれ、その間一点の疑念も挟まなかった。「いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引き受けします」ー 西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、その生物と財産とをたもつことが出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。もしこれが他人であったら、いや貴様のいふ事は、自家撞着(じかどうちゃく)だとか、言行不一致だとか、沢山の兇徒があの通り処々に屯集(とんしゅう)して居るのに、恭順(きょうじゅん)の実(まこと)はどこにあるのかとか、いろいろ喧(やかま)しく責め立てるに違いない。万一さうなると、談判はたちまち破裂だ。しかし西郷はそんな野暮はしない。その大局を達観して、しかも果断に富んで居たには、俺も感心した。

自分が組織上、誰かの上につくことになったとき、覚えておきたいことです。

その他のロールモデル

ここで全ての例を挙げても、本をなぞるだけになってしまうので、全ての例は紹介しませんが、その他にも、田中角栄、岸信介、柳田邦夫、折口信夫、太宰治のような例が挙げられています。とにかくいろいろな人の本をまず読む。そして贔屓の人を見つける。そこからその人の思考(何か入力を得た時、出力まで解釈する過程)を、自分の中にも植え付けることで、知性は磨かれて行きます。私も、まずは齋藤孝のこの考え方をロールモデルとして、もっと本を読んでいきたいと思います。

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