台湾に行く前に読むべき本・見るべき映画 台湾南部を旅行するための手引き1(全3回)

最近、旅行で台湾に行く機会がありました。台湾に行くのはこれで3回目。台北には割と長く滞在した事もあってメジャーな観光地は行きつくしてしまいました。そこで今回は南側を攻めてみようという事で台南・高尾に旅行に行ってきたのです。

そこで、今回から全3回にわたって、台湾の歴史的なみどころ、特に南部を紹介していきたいと思います。皆様の手引きとなれば幸いです。

まずは私が今回、台湾に行く前に読んだ書籍から良かったものを紹介していきましょう。

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台湾に行く前に本を読む理由

2016年の年末には、つい最近米大統領に就任したドナルド・トランプ氏が、台湾の総統である蔡英文さんに電話をしたことが話題になりました。これ、何故か分かりますか?新聞やニュースを追っている人なら分かると思いますが、分からない人も多いのではないでしょうか?それでは、そもそも総統という立場、みなさんご存知でしょうか?

身に覚えのある方もいると思いますが(私もそのひとり)私たち日本人は台湾の事を知らな過ぎます。それもそのはず。日本には台湾とは国交を絶ってきた歴史があるので、台湾の事は(積極的に学ばない限り)知識を得ることは難しかったのです。ですが台湾はご存じのとおり50年ほど日本の植民地だった時代があった。台湾が日本の植民地という事は、台湾は昔、日本だったという事です。日本語で教育を受け、日本語で会話し、日本のニュースを毎日聞いていた時代があったという事です。50年間というのは歴史の中では短い時間かもしれません。ですが一人の人間の生きている時間で考えたらとても長い時間です。日本による台湾統治が始まった1895年に台湾で生まれた人は、そんな“日本”で、”日本国民として”、第二次世界大戦に参加し、50歳まで育ち、日本として終戦を迎えたのです。そこで今日からあなたは中国人ですと言われたのです。(日本の統治が始まる時は2年間の猶予期間があり、国籍を選択できたが)言われたその日から自動的に中国人になってしまったのです。

台湾は親日の国だ。という事はよく聞きますが、なんとなくそう聞いたから使っている人が多いはず。これらすべての歴史が包括され、その子供、孫世代が活躍する今の台湾は親日だ。と言えるようになりたいです。

と言う事で、さっそく書籍の紹介をして行きましょう。

新台湾の主張

まずはこの本、李登輝さんの本です。今の総統は蔡英文さんですが、李登輝さんは3代前の総統です。中国から国民党の蒋介石が台湾に降りてきて、独裁が始まりましたが、幸運にも蒋家の独裁はその息子蒋経国で終わります。政権が蒋家の出身でない(しかも大陸から渡ってきた外省人でない、台湾生え抜きの内省人)李登輝さんになったのは歴史のきまぐれというかいたずらというか、数奇な運命があるのですが、ここでは全部省略します。

その後、野党の陳水扁が総統になり、また国民党の馬英九に政権が戻り、現在の蔡英文さんにバトンタッチされています。この辺も歴史を見ていくととても面白いのですが、長くなってしまうので、ここでは全部省略します。

この本の見どころは大きく分けて2つあり、まずは前半の李登輝さんが半端じゃなくいい人だという事。人間の厚みと言うか器が、とても巨大です。李登輝さんの大きくそして温かい人柄がにじみ出た前半がまず見どころです。

そして後半。李登輝さんが急に具体的な政策を語り始め、意図的に日本を使っているような思惑が見え隠れしてきます。これが第二の見どころではないでしょうか。コバンザメのように日本に張り付いて発展したいという下心の李登輝さん。ただし、これには日本にも利益があり、Win-Winの解決策を探せる李登輝さんは本当に良い指導者だ(だった)と思います。

前半、台湾の総統が日本精神について語る場面は現代の日本人として、見ておいてほしいところです。本当に良い事だったのでしょうが、まさかそんなことは教科書に載せられないので、今では(意識して情報を集めない限り)忘れ去られています。歴史を忘れないために、そして本当の事を理解するためには、多くの昔の人の話を自分で読んで、それを自分なりに消化していくしかないと思います。

街道をゆく40 台湾紀行

先ほどあげた李登輝さんの新台湾の主張で紹介されていたのが本書です。歴史小説の金字塔的作品を数々生み出してきた司馬遼太郎のエッセイ。Kindleで出ていたので、新台湾の主張を読んだ後すぐさま購入しました。

司馬さんのエッセイはすぐに歴史に脱線していってとても面白いです。台湾紀行という本のタイトルですから、まずは実際に司馬さんが見た台湾の街並みを紹介し始めるのですが、いつの間にかオランダ統治時代の話をしだしたり、日本の歴史に例えて話したり、司馬さんは本当に歴史の事が好きなんだなぁと感じます。

知的な文体も好印象で、全編を通して司馬さんの蓄えていたものすごい知性を感じます。日本の歴史だけでなく世界史にも通じていて、まさに歩く生き字引。歴史学とも近い言語学にも通じていて、新しい単語についてはすぐに色々な辞書を引いて意味を調べる。このエッセイを通して、どうやったら歴史に通じるようになれるか、その秘訣が分かります。他の国についてのエッセイも、さらには日本のエッセイも読んでみたいと思います。

李登輝さんとの対談も収録されているので、そちらも見どころです。一国のトップ(というと中国から非難されますが)である李登輝さんと対等に、ひるまず、自分の意見を堂々と話す司馬さんは日本の宝だと再認識しました。

司馬さんと言えば、最近文春文庫から出たこちらの新書もおススメです。

台湾 四百年の歴史と展望

こちらは先ほどまでの2冊とは変わって、堅い本です。司馬さんが台湾紀行を書いている間に出版された本で、司馬さんは絶賛していました。台湾の歴史について、綿密な調査をもとに、詳しく書かれています。

実際に私もこの本を読んで初めて、日本の統治が始まる前に、台湾の人は2年間、国籍選択の自由を与えられたというのを知りました。もし日本が嫌いだったら、日本人になる必要はなく、何の迫害も加えられずに大陸に移動すればよかったのです。ヨーロッパ諸国の帝国主義による一方的な植民地支配の歴史の中で、日本人としてこの事実は知っておきたいです。さらに、植民地の教育に力を入れた点からしても、日本の植民地支配の方針はユニークでした。そんなことは日本以外の国はしていません。特に日本統治時代に建設された嘉南大圳(かなんたいしゅう)は今でも台湾の農業を潤しています。

この本は、台湾の歴史の基礎知識として必読の本と言えそうですが、話が淡々としているので、台湾の歴史に興味を持って読まないと、結構つらいです。

凛とした日本人 ~何を考え、何をすべきか~

そして次は、70歳で日本に帰化した台湾人、金美齢さんの本です。どうやらワイドショーではお馴染の人物らしいのですが、全くテレビを見ないメディア音痴の私は彼女を全く知りませんでした。ですので余計な先入観なく読めたのですんなり読むことができました。(テレビでは癖のある人物らしく、先入観のある人は読めないかもしれません。)

この本の中で、映画KANOが絶賛されていました(後でレビューを書きます)。台湾でこの映画がつくられたことが意味があるという事を強調しており、実際に自分もその映画を見て、納得しました。

本の構成として前半では、どうも内容が偽善的で、自民党礼賛の描き方に、イラッとしましたが、その後の震災の話には号泣してしまいました。震災時の日本人の対応について、日本が台湾を統治していたときの古き良き日本の姿が映ったようで、誇らしく思えました。この辺りのくだりは、電車などでは絶対に読めません。(号泣するので。)

これは日本人として読むべき本だと思います。台湾人(当時は日本人)も、第二次世界大戦の時は心の底から天皇に忠誠して、靖国で会おうと誓い合い、戦場に向かい、死んでいきました。そんな先人たちのためにも靖国をおろかにすることは有り得ないと金美齢は強調しており、少し過激な部分もありますが、知っていて損はない本だと思います。日本は外国の顔を伺いすぎだという指摘も、時代にあった意見だと思いました(安倍さんはとても良くやっていると思います)。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL台湾論

さて、ここで漫画です。いつの間にか社会派漫画家になっていた、こばやしよしのり氏の作品。おぼっちゃまくんの人ですね。この作品は、漫画だけど実は文字だらけで読み応え十分です。

この作品に対して別に批判は無いのですが、3分の1ほど読んで、残りは読めませんでした。どうやらこの人の作品は私には合わないようです。別に言っていることが間違っているとは思わないし、歴史を紹介してくれているのはよいのですが、他の書籍で読めばいいかなと。言っていることは特に新しくないので、まぁ特に気にせずに途中でやめました。あと電子書籍で読んだので、読みにくかったのが半分くらい。読了してないのでレビューは書きませんが、こんなのもありますよと言う事で、載せておきます。

KANO ~1931海の向こうの甲子園~

そして最後に本命です。この映画は本当にすごい。台湾に行く予定のある方もない方も、日本人全員に見てほしい作品です。タイトルのKANOとは日本統治時代の台湾の嘉義市にあった、嘉義農林学校のことです。当時の台湾は日本ですから、当然日本中の高校球児は甲子園に憧れているし、台湾の農林学校の高校生も同じです。台湾の高校生が甲子園で奮闘する姿を描いたのが本作ですが、この映画の中で教えられている日本的教育が本当の見どころです。単純な日本賛美ではなく、これが台湾で作られたという事に意味があります。

ストーリー自体は、ルーキーズみたいな青春映画にしたてられているので、難しい事は抜きにして見ているだけでも面白いし、その奥にある歴史的背景や、現在の状況と照らし合わせても面白いです。

最後にWikipediaから、その長いあらすじを引用して終わりにしたいと思います。興味がある方は読んでみて下さい。(映画を見る予定がある方は、ネタバレになるので見ないほうがいいかも。)

次回は、台南・安平の観光モデルコースを紹介したいと思います。それでは、また。

1944年(昭和19年)、錠者大尉ら大日本帝国陸軍の将校たちは、南方の戦場へ向かうために台湾の基隆駅から、台湾南部へ向かっていた。錠者は同行者に「嘉義に着いたら起こしてくれ」と言って、しばしの眠りにつく。

1931年(昭和6年)夏、甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会の開会式に、錠者は札幌商業のエースとして参加していた。日本本土の学校だけでなく、大連や京城といった外地の学校のプラカードも見える。そこに交通事情から遅れて参加してきたのが、嘉義農林学校野球部の選手たちであった。

物語はさらに1929年に遡る。のんびりしたチームの「嘉農」野球部は当然連敗続きであったが、新任監督として迎えられた日本人の近藤兵太郎によるスパルタ式訓練により、部員たちの心には徐々に闘争心と甲子園出場への夢が芽生えていった。近藤は日本人のみを贔屓することなく、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちのバランスの良いチームを作り上げていく。また、かつて近藤が指導し、その指導に萎縮した松山商業と比べ、嘉農の選手たちが伸び伸びとプレーする姿は、近藤自身を成長させ、チームに対する愛情を深めていくのだった。

少年たちは日本語で教育を受け、日本語を話した。しかし街や仲間内では台湾語を話した。日本の統治下にある街には日本語と漢語があふれ、近代化整備が進みつつあり活気に満ちていた。一方で、農村は治水対策が不十分で、台風のたびに甚大な被害を受けていた。エースピッチャーの呉明捷(愛称は”アキラ”)は山陽堂書店の手伝いをしており、店員である静に憧れを寄せていた。しかし静はやがて台中の医師と結婚して嘉義を去る。アキラは爆竹を燃やして彼女を祝福しつつ寂しげに見送る。

当時、台湾代表として全国中等学校優勝野球大会へ出場するのは、決まって日本人のみで構成された台北一中や台北商業であった。当時は台湾全島で1校のみしか代表として甲子園に行くことが出来ず、その為に台湾大会で優勝する必要があった。「一度も勝ったことがない」チームの快進撃は止まらず、勢いに乗って全島優勝を果たす。台北から凱旋した選手たちは町中から大歓迎を受ける。しかし選手たちは、当時のアジア最大の水利事業であった嘉南大圳完成を知るや、パレードを中断して用水路へ向かう。水が満ちていることに感動すると、視察で用水路を下ってきた八田與一に会い、優勝を報告するとともに、八田から激励を受ける。

迎えた甲子園大会、下馬評では弱すぎて本土のチームには相手にならないのではと危惧されていた。甲子園球場に来た嘉農の選手たちは、「甲子園の土」の質の良さに感動する。初戦の対神奈川商工戦では、3-0の完封に抑え、一躍注目チームとなる。その様子をスタンドから見ていた錠者は、激しく動揺する。マスコミからの取材を受けた嘉農の選手たちには当初「日本人の子は手を挙げて」「日本語は理解できるのか」等と偏見の眼差しが向けられる。近藤は民族を問わず「同じ球児だ」と反論し、生徒たちを守る。

準々決勝の対札幌商業戦は、19 – 7で圧勝。試合中、札商ピッチャーの錠者は茫然自失となり、自分でも理解できないうちに自らマウンドを降りてしまう。

再び、1944年。錠者大尉は、嘉義駅での大砲の積載に時間がかかることを確認すると、嘉農の練習場へ向かった。あの時の彼らの強さの原点は、何だったのか。街には第二次世界大戦中の大日本帝国領として戦意を高揚させる垂れ幕があふれていたが、かつてのような活気はなかった。錠者は、荒れ果てた練習場のピッチャーマウンドに立つ。

準決勝の対小倉工業戦も、10-2で圧勝。魂の篭もった姿勢と素晴らしい強さは本土の野球ファンをも魅了し、応援するファンも増え決勝戦では超満員の観衆が甲子園に詰め掛ける。そして決勝の相手は名門中の名門、中京商業[6]。

地元の嘉義市内ではラジオ中継に熱中し狂喜乱舞する市民たち。静も出産したばかりの子供と共に嘉農を応援する。日本中だけでなく台湾でも大勢のファンが固唾を呑んで見守る中、その試合が始まる。しかし、アキラの指は限界を迎えていた。試合中に出血したアキラを近藤は降板させようとし、チームメイトとともに激しい意見が交わされる。結局、アキラは続投するがフォアボールを連発し、押し出しで得点が入ってしまう。そこに守備の選手たちが「俺たちが守るから、敵に打たせろ」と叫ぶ。ベンチの選手たちはアキラの応援歌を絶唱する。結局、中京商の吉田正男に完封に抑えられ、優勝はできなかった。しかし、嘉農の最後まで諦めない奮闘ぶりは日台それぞれの人々に強い印象を残し、スタンドにいた錠者は健闘を称えて「天下の嘉農」と絶叫する。その声はどんどんと大きくなり、やがて観客席全体から響き渡るのだった。

負けても泣くな、勝っても泣くなと指導された選手たちも、「僕たちはいつ泣いたら良いんですか?」とついに号泣する。選手たちは、準優勝盾と甲子園の土を手に、船で台湾への帰路についた。船上ではしゃぎながら野球をする選手たちの前に、やがて懐かしい台湾の地が近づいて来る。

エンドロールで、近藤や選手たちのその後が紹介される。ある者は日本の野球界で活躍し、ある者は台湾で野球の普及に貢献した。そして、ある者は第二次世界大戦(太平洋戦争)で戦死したのだった。

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コメント

  1. かっずん より:

    初めまして。
    Novena在住です。
    といっても私は日曜日に来たばかりですが、、
    先に4月からシンガポールに来ている主人が、一人でよく行く店……と昨日連れて行かれたのが、日本食の食べれるbarとホーカーの中間みたいな……とブログに載ってた店でした!
    今日、ブログの他の投稿を拝見して日本酒が飲めるbarに来てみましたが、ベトナム料理に変わってました(笑)

    • Hugo より:

      かっずんさん、はじめまして。コメントどうもありがとうございます。

      なんと!!ニッケルダイムがやってるクラフトビールのお店の隣ですかね?近々行ってみます。情報どうもありがとうございました。

      • かっずん より:

        そうです!
        ブログで、出雲富士の写真の後ろに写ってる変なタコの絵は健在でした(笑)

        壁の日本風の柄のところも、
        上からベトナム風のものが所々貼られておりました。。
        私たちは、次はお隣に行ってみます!
        ブログ拝見して勝手にお店探しの参考にさせて頂いております、ありがとうございます。

        • Hugo より:

          かっずんさん、なんですかそのツギハギ的なのは。笑
          変なタコの絵はまだ健在ということで一安心(?)ですが、急なベトナムへの舵取りに驚きです。行って真相を確かめてきます。笑

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