ガンジーから愛(アヒンサー)を学ぶ Yogaから入門するガンジーの教え

妻の影響でヨガを本格的に始めて約1年、ヨガにかかわる色々なことに興味を持つようになり、自然とヒンドゥー教関係の書籍にも手が伸びます。エクササイズとしてのヨガが流行るのは一向に構いませんが、どうせ興味を持ったのであればそのルーツやマインドも知っておきたいもの。おしゃれな人たちが体系維持のためにやっているだけがヨガではない。ということで今回はヨガの故郷インド、そのインド独立の父、ガンジーから愛(アヒンサー)を学んでみたいと思います。

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私たちが持っているガンジーのイメージ

私が読書に勤しむ以前、いわば盲目だった時代を西洋風に紀元前(B.C.:Before Christ)のように表すならばB.R.:Before Reading。この原始時代B.R.に私が持っていたガンジーのイメージ像は、まさに教科書に載っている姿そのもの。布一枚をまとい、なにやら糸を作るような道具の前に床に座っている姿でした。彼の見にまとっている布が国産品の愛用を訴えるべくインド産の手織りで編んだ木綿である事はA.R.(After Reading)になってから分かった事です。
今でこそ私の中でのガンジーのイメージはインテリで、愛に満ちた人というイメージですが、A.R.の時代は、非暴力を訴えるか弱い老人といったイメージでした。いまだB.R.の時代にいる人のために、少しガンジーの生涯を紹介したいと思います。

Gandhi

ガンジーの生涯

私が中学生だったころ、ガンジーは教科書の中でマハトマ・ガンジーとして紹介されていました。マハトマとは、ヒンドゥー後で偉大なるという意味で、名前ではありません。愛称が名前に誤解されている偉人は他にも何人かおり、チェ・ゲバラのチェがヒスパニックで『よっ!』という意味で、名前ではないのと似ています。ガンジーの場合は『偉大なる』ですので、『よっ!』よりは幾分尊敬の念が入っていることは確かです。(ゲバラは十分に尊敬できる人物ですが、名前がちょっとかわいそうだなといつも思ってしまいます。。。)ガンジーの場合、実際には単純にお父さんという意味の『バープー』と呼ばれていたことが多かったようですが、今ではマハトマ・ガンジーとして世界中で定着しています。この尊敬はどこから来るのか。

それはガンジーが、一流の階級にもかかわらず、貧しい庶民の事を考え、自ら実践したという点でしょう。ガンジーが一流の階級だというと、首をかしげる人もいるんじゃないでしょうか?それもそのはず。過去に起こった事象の年号を順番に暗記させていくような教育や、それに使われている教科書からは、その事象を成した人物の生い立ちまで学べないからです。ですが私たちが真に学ぶべきことはそこにあります。

ガンジーは最初からボロを身にまとっていた訳ではありません。一流の家庭に生まれた彼は、ロンドンの高校に留学し、ロンドンの一流の大学で弁護士になるために勉学に勤しみ、卒業後はアフリカにて弁護士として開業しているのです。まさに世界をまたにかけるエリート、インドに戻って布一枚を身にまとう前のガンジーは、一生裕福な暮らしができるほどのエリート中のエリートだったのです。
しかしこのアフリカ時代がガンジーの思想を形成したといわれています。というのも、アフリカではインド人が白人による人種差別を受けており、インド人のための弁護をする案件を主に受け持っていました。また自身も差別を受け、民族意識が強くなっていったといわれています。
そしてインドに帰ってからは、当時イギリス支配下にあったインドのために精力的に活動していきます。この活動を通してガンジーは独立の父と呼ばれるまでにいたります。

ガンジーの教え

ガンジーの教えを端的に知るには、岩波文庫の『獄中からの手紙』を読むのが良いです。
これは、ガンジー翁が獄中に捉われているときに毎週、アーシュラム(修行場)にいる弟子たちに向けた手紙をまとめたものに、解説を付け足した本で、過激なタイトルからは想像もできないような愛に満ち溢れた本です。150ページあまりのペラペラな本で、文体も読みやすいので読書に慣れていない人にもオススメの本です。全体の4分の1以上を解説が締めており、当時の背景も勉強できる良い本です。それでは、この本で教えられていることの中で、自分で理解できたもの、特に印象的なものを紹介していきます。

獄中からの手紙
ガンジー
岩波文庫

そもそも獄中にいる理由

『獄中からの手紙』なんて穏やかではないタイトルですが、決して激しい行動の末に逮捕されたわけではあり ません。はっきり書かれていませんでしたが、これらの手紙を書いたときに獄中に入っている理由は、おそらく塩の行進だと思われます。インドがイギリスの植民地だった子の当時、政府は塩にまで税金をかけていました。塩の行進とは、これを批判し、アーシュラムから塩が取れる浜まで40日かけて行進した有名な反政府デモの事です。その間、多くの賛同者が募っ てきて、ガンジーが何を始めるのか、注目度の高さから世界的ニュースになったそうです。言われてみれば、いとも簡単に取れる塩にまで税金をかけるのはおかしいし、実際に浜に行って塩を取るだけの行為にメディアまで引き付けて大事件にしてしまったガンジーの頭の良さは、さすがイギリス名門大学出身の頭脳があったからこそでしょう。

無所有の教え

有限実行を旨とするガンジーは、亡くなったときには所持品は10個程度だったそうです。ガンジーはこの教えを自身も厳格に守りました。ガンジーは無所有と不盗とは関係が深いといいます。例え盗んだものでなくとも、不必要なものを所持することは盗むことと同じだとし、必要最低限のものしか所有しなかったのです。また人が持っているものをいいなと思っただけでも、心がそちらに行ってしまえば、それは立派な盗みであると言いきります。今でこそ断捨離が流行っていますが、ガンジーは既に究極の断捨離を実践していたのです。

また、知識に対しても無所有をすすめます。私たちが有り難がっている知識も、実は不要の産物であり、それは真理を穢す邪魔者であるとします。わたしはこれには盲目的に賛成する事はできませんが、知識は何でもかんでも詰め込めばいいというものでもないと思います。詰め込む知識を洗練することで、不必要な迷いをなくすことが出来るという事には賛成です。

味覚の抑制

自らに厳しく禁欲を課したガンジーですが、味覚に対しても厳しく禁欲します。味覚を楽しむことを良くないとし、最低限必要な栄養のみしか口にしてはいけないと言います。例えば塩に関していえば、生きるために塩分を身体が欲していれば摂取してもよいが、味付けのための塩は戒律違反であるとします。レストランのレビューばかり書いている私には到底、守ることのできそうにない戒律です。

ガンジーの説く愛

さて、このエントリーのタイトルにもした愛ですが、ガンジーは愛=アヒンサーとしています。アヒンサーとは非暴力と訳されることもありますが、ガンジーは非暴力こそが愛であると言っています。それは、何をされても赦すということであり、これには苦痛と忍耐が伴います。悪を黙って見逃すのは億秒ですが、報復をするのはもっと卑怯な行為です。最近のニュースを見ていて、ガンジーに学ぶことは多いと感じます。アヒンサーの教えとはかけ離れた報復合戦にうんざりしますが、自分が被害を受けたときこそこの教えを思い出したいです。

生活と近い距離にあるガンジーの教え

何故今回ガンジーを取り上げたか。それは自分の生活でもよく観察すると、ガンジーと繋がることがたまにあるからです。ガンジーを知らなければ何となく見逃していたような事も、知ることで、その時が豊かになります。その一例を紹介します。

バリ島の交差点に見るギーター

この手紙の中でガンジーは、バガヴァッド・ギーターを頻繁に引用しています。ギーターとは叙事詩マハーバーラタ(バリではマーハブラタと発音する)の中の一幕なのですが、ヒンドゥー教の教えがたっぷり詰まった経典でもあります。ですので、ガンジーはマハーバーラタ自身というよりも、ギーターを経典としてあげることが多いです。
世界一のイスラム教国のインドネシアにありながら、ヒンドゥー教が根付いている特殊な島、バリの中でもこのギーターの物語を街中で見ることができます。ギーターの登場人物アルジュナが弓を引いている像が交差点のど真ん中に立っている姿は圧巻ですし、(確信は持てないけど、自分の間違いでなければ)アルジュナがクリシュナと対話している場面もあります。バリの交差点を一つ眺めるだけでも、ギーターを知っているだけでバリ島歩きが楽しくなります。またそのギーターがガンジーと繋がれば尚更です。

バリ島のお店の名前に見るアヒンサー

また、お店の名前も良く見るとアヒンサーという名前が使われていることがあります。前回のバリ旅行で2件ほど気づいたので、たくさんあるのでしょう。確か布屋さんだったと記憶していますが、意味を知ることで身近に感じることが出来ます。

ヨガで唱えるシャーンティーシャーンティー

ヨガをやる人なら、「オーーーーーーム。」と低い声をみんなで出したことがあると思います。また、「オーム シャーンティーシャーンティー」とかみんなで合唱したことがある人も多いと思います(マントラ)。言うまでもなくオームは梵字(サンスクリット)でヨガではよく使われる文字です。ガンジーの書いた本を読むと、シャンティという言葉が良く出てきますが、このシャンティとは平和や静寂といった意味で、ヨガの最後にもってこいの言葉なのです。「オーム シャーンティーシャーンティー」とヨガで合唱するときに、ガンジーの説くアヒンサーを頭に思い描くと、またいつもとは違った静寂が訪れるかもしれません。
さて、如何でしたでしょうか?私の浅い理解では、ガンジーの濃すぎる人生の中で紹介できる事があまりに少なく、結果まとまりのない文章になってしまいました。今回は突然ガンジーのことを紹介したくなったので本能に従って紹介しましたが、とにかく紹介できて満足(自己満足)しています。

わたしはヒンドゥー教徒ではありませんし、神仏習合の日本に生まれた一般的な仏教徒です。トイレに神様はいると思いますし、仏像を見たら拝みたくなります。ですが自分の趣味などを取っ掛かりにいろいろな宗教感を理解し、広く深い知識を得ていくようにしたいものです。

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